問6 下線部分国境が決められについて,会話文3 のパリ万国博覧会が開かれた時期の…
次のⅠ~Ⅲについて,後にある問1 ~問8 に答えよ。 Ⅰ 次の会話文1 についての問に答えよ。 会話文1 生徒: 近代とは,どのような変化がもたらされた時代なのでしょうか。 先生: この絵は,1850 年頃のイギリス社会の変化のようすを示しています。 生徒: 工場や鉄道,船が描かれているのがわかります。座っている右下の人物は誰ですか。 先生: この人物はワットで,足元には彼が開発した機械のスケッチが置かれています。 生徒: 他に社会の変化がわかるような資料はありますか。 先生: 図1 は,1852 年の時点でのイギリスの鉄道網の一部を示したものです。 生徒: マンチェスターとリヴァプールに鉄道が通ったのが1830 年であることを考える と,交通の発達によって, A といえそうです。 絵 図1 鉄 道 船 熱せられたやかん ⒜ Ⅱ 次の会話文2 についての問に答えよ。 会話文2 生徒: イギリスの国外に目を向けると,19 世紀後半から20 世紀初めにかけて,どのよ うな変化がありましたか。 先生: 図2 はイギリスが定期船を運航させた航路を示しています。19 世紀後半には, イギリスはロンドンから上海を水路でつなぐ定期航路を完成させました。 生徒: 世界の一体化が進んだということですね。 先生: そうです。資料2 は1882 年にこの航路を使ってヨーロッパを訪れた日本人外交 官の手記の一部です。 生徒: 資料2 からは,当時の状況がわかる気がします。 先生: 世界に視野を広げていくことは,学習において大切なことですね。 図2 資料2(意訳してある) イギリスの植民地が広くて大きなことは誰もが聞き知っているところである。今回の航 路,香港を初めとしてシンガポール,セイロン島(注)の諸港及びアデンのペリーン島のよ うな重要な地はすべてイギリスの所領であり,役人を派遣し兵を駐屯させ,政治を施し, 守衛を設けて,おどしながら現地の人々を支配している。 (注) 図2 中のコロンボがある島 (木畑洋一『帝国航路を往く』より作成) ⒝ ⒞ Ⅲ 次の会話文3 についての問に答えよ。 会話文3 先生: 写真1 を見てください。これは1889 年のパリ万国博覧会でアフリカの人々が見 物の対象となったようすを写したもので,アフリカの住居も再現されました。 生徒: 人々を見物の対象とすることに差別をする意識を感じます。どうしてそんなこと をしたのでしょう。 先生: 19 世紀以降の世界は,西洋の国々が世界中に進出していった時代です。そのた め,様々な地域の人々を多くの人の目に触れさせることで,自国の支配の広がり を示す目的があったのでしょう。 生徒: なるほど。日本もこの時代に国境が決められ,その後に領土や勢力圏を広げてい きましたね。 先生: 写真2 を見てください。これは1903 年に日本で開催された内国勧業博覧会で, 見物の対象となった人々を写したとされるものです。 生徒: 日本でも人々が見物の対象となったのですね。写真2 に写っているのはどのよう な人々ですか。 先生: 台湾,朝鮮,沖縄,アイヌ,中国の人々です。左上に日本人も写っていますが, 見物の対象となったわけではありません。 生徒: そのような地域の人々が見物の対象となったのはどうしてですか。 先生: 様々な理由があると考えられます。例えば,日本の植民地である台湾は,大日本 帝国憲法が適用されない「外地」であると認識されていました。このことは,「台 湾の人々」を差別する意識と関係があったと考えられます。 生徒: 当時はそのような意識があったのですね。他の資料も探してみたいと思います。 写真1 写真2 アフリカの人々 ⒟ ⒠ ⒡ (那覇市歴史博物館 提供)
問6 下線部分国境が決められについて,会話文3 のパリ万国博覧会が開かれた時期の日露間の 国境を表す地図と,その国境を定めた条約の組合せとして適切なものを,下の1 ~4 のうち から一つ選べ。
地 図 ア イ は日露両国の雑居地を示す。 条 約 ウ 日露和親条約 エ 樺太・千島交換条約
- 1 ア―ウ樺太を雑居地としたのは日露和親条約で、この時期の国境ではありません。
- 2 ア―エ樺太がロシア領となった地図アと、それを定めた樺太・千島交換条約が対応します。
- 3 イ―ウ地図も条約も、この時期の国境の定め方と合いません。
- 4 イ―エ条約は正しいものの、雑居地を示す地図はその前の時期のものです。
この問題は問題の図(写真・図・表など)を見て答えます。図はこちらに転載していないため、下の出典のページから公式のPDFをご覧ください。解説だけでも読み取り方が分かるように書いています。
解説
正解は2です。日露和親条約では、択捉島と得撫島の間を国境とし、樺太は両国民が住むことのできる雑居地とされました。その後1875年の樺太・千島交換条約で、樺太全島をロシア領、千島列島全島を日本領と定め直しています。会話文のパリ万国博覧会はこの条約より後の時期にあたるので、樺太がロシア領となっている地図アと、樺太・千島交換条約の組合せが当てはまります。
出典:文部科学省ホームページ(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm)を加工して作成