ソクマル高卒認定(歴史)

問3 レポート中の C に当てはまる内容と,アメリカ合衆国へ山内慶次の移動が 可…

次のⅠ・Ⅱ・Ⅲについて,後にある問1 ~問8 に答えよ。 Ⅰ 次の会話文と資料1 についての問に答えよ。 会話文 先生: 18 世紀の東アジアから南アジアにおける海上交易ネットワークには,アジア諸 国に限らずヨーロッパ諸国も積極的に参入しました。清は1757 年にヨーロッパ 船の来航を広州に限定しましたが,ヨーロッパにおける東アジア製品の流行を背 景に貿易額は増加しました。 生徒: 諸外国と日本の間の貿易はどのような状況でしたか。 先生: 資料1 は,18 世紀初頭に日本で出された長崎での貿易ルールを定めたものです。 どのようなことが書かれていますか。 生徒: A 。また,一定数は銅で支払うようにといっています。 先生: そうですね。江戸時代の日本は,生糸・絹織物などを輸入していました。それら の輸入品に対し日本は,はじめは主に銀で,やがて銅で支払いました。銀や銅が 不足すると,俵物が輸出されました。 生徒: 貨幣の素材となる鉱物資源の産出量が減少したことがその背景にありますね。 資料1(意訳してある) 一 ,中国人との商売の方法は,一年間の船数を,中国本土からの船と南方諸地域からの船 をあわせて三十隻とし,貿易額は全部で銀に換算して六千貫目を限度とし,そのうち銅 で三百万斤 を支払うようにせよ。 一 , B 人との商売の方法は,一年間の船数を二隻とし,貿易額は全部で銀に換算し て三千貫目を限度とし,そのうち銅で一五〇万斤を支払うようにせよ。 Ⅱ 愛知県の高校に通う田中さんは,通学路で見つけた「山内慶次の碑」について疑問に思い,調 べてレポートにまとめた。 レポート 【年表】 年 山内慶次の出来事 年 山内の故郷の出来事 愛知県の西部に生まれる。 メキシコ経由でアメリカ合衆国へ渡 り,農業に従事する。 第二次世界大戦後,ロサンゼルスに 移る。 1960 年以降,4 回にわたり奨学金を 故郷の小学校,敬老会に寄付する。 死去する。 濃尾地震により各地で陥没がおこる。 大雨による田畑の冠水,家屋の浸水 がおこる。 河川の氾濫で,多数の家屋が床上浸 水する。 地域の人々が,山内慶次をたたえる 碑を建立する。 【補足】 ・山内の故郷では,綿や綿織物が作られていた。 ・19 世紀は,アメリカ合衆国への移民がたくさんいた。 【結論】 山内慶次の碑は,アメリカ合衆国へ渡った山内が,稼い だお金を自分の故郷に寄付したため作られたものだとわ かった。山内の移民の理由は, C が背景 の一つにあると考えられる。
問3 レポート中の C に当てはまる内容と,アメリカ合衆国へ山内慶次の移動が 可能となった理由の組合せとして適切なものを,下の1 ~4 のうちから一つ選べ。
C ア 宗教・人種を理由にした排斥 イ 故郷でおこった自然災害 理 由 ウ 鉄道や蒸気船が発達して,人や物資の移動を拡大させた。 エ 原子力・航空機など新しい産業部門における技術革新があった。
この問題は問題の図(写真・図・表など)を見て答えます。図はこちらに転載していないため、下の出典のページから公式のPDFをご覧ください。解説だけでも読み取り方が分かるように書いています。

解説

正解は3です。Cには、移住のきっかけとして故郷で起こった自然災害が当てはまります。宗教や人種を理由にした排斥は、移住先で受ける扱いにあたるので、移住の背景としては合いません。また19世紀後半には鉄道や蒸気船が発達し、人や物資が以前よりはるかに遠くまで速く移動できるようになりました。これが太平洋を越える移住を可能にした理由です。
出典:文部科学省ホームページ(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00013.htm)を加工して作成

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