問7 次の資料5 ・6 は下線部分満洲国についてのものである。資料5 ・6 から…
次のⅠ・Ⅱについて,後にある問1 ~問8 に答えよ。 Ⅰ タロウさんは北海道の小樽に旅行へ行き,その内容をまとめた。次のまとめについての問に 答えよ。 まとめ 小樽は第一次世界大戦勃発後に迎えた好景気の中で,貿易・金融の拠点となり,アメリカ 合衆国の発展にちなみ,「北のウォール街」と呼ばれました。また,『蟹工船』の作者である 小林多喜二が生活するなど,労働者の歴史ともつながりが深い地域です。 Ⅱ 次の会話文とレポート1 についての問に答えよ。 会話文 タロウ: 先日,北海道のオホーツク地域へ旅行に行き,その内容をレポート1 にまとめ ました。そもそも,旅行に行くという文化はいつ頃から人々に根付いたので しょうか。 先 生: 1923 年に行われた大阪市の調査を踏まえて考えると,日本では20 世紀前半に は広く国内旅行が行われていたと言えそうですね。 タロウ: 日本から海外へは自由に行くことができたのでしょうか。 先 生: 第二次世界大戦が始まる前は,船を使って海外へ旅行する場合もありました。 中には修学旅行として満洲国へ行くこともあったようですよ。 タロウ: 旅行にも時代による変化があるのですね。次に旅行をする際には,その場所が 持つ歴史をきちんと調べてから行こうと思います。 レポート1 北海道のオホーツク地域を旅行してわかったこと ・ 網走監獄(現在の博物館網走監獄)は,ベルギーやフランスで採用されていた獄舎を参 考につくられた。収監されていた人々は,厳しい労働作業に従事させられていた。 1925 年に社会主義の広がりを防ぐため制定された A によって逮捕された人々 も,この場所に収監されることがあった。 ・ 自然豊かな地域である佐 呂間町には「栃木」という地名が存在する。明治期に田中正造 が解決のために運動した B がおきた後,廃村となることが決定した栃木県谷中 村の人々が移住したことで付けられた地名だった。
問7 次の資料5 ・6 は下線部分満洲国についてのものである。資料5 ・6 から読み取れる共通 した認識として最も適切なものを,下の1 ~4 のうちから一つ選べ。
資料5 日本の女子生徒が学校の旅行で満洲国を訪問した感想文(意訳してある) 満洲国が私たちの生命線であるということは今まで何度も聞かされたことである。…私 は軍隊のありがたさを大陸に来て痛感したのである。その軍隊の力によって満洲国は誕 生した。今までの立役者は軍人であった。しかし今や満洲国は第二の段階に入ったので ある。次の立役者は農業移民でなければならないと思う。 資料6 リットン調査団の報告書(意訳してある) あらゆる筋からの証拠に基づき,「満洲国」創設には多くの要素が寄与しているものの, 日本軍の存在と,官僚という二つの要素こそ,互いに結びついて最も効果的な働きを し,われわれの見解では,それなくしては新国家の形成もありえないと考える。この理 由により,現在の政権が,真の自発的な独立運動によって生み出されたものとは,考え られない。
- 1 満洲国の誕生には,日本の軍隊が関与している。立場は違っても、日本軍の関与を認めている点で共通しています。
- 2 満洲国を国家として認めることはできない。資料5は満洲国を支持しており、共通した認識にはなりません。
- 3 満洲国は,独立運動を経て誕生した正式な国家である。資料6は自発的な独立運動によるものではないと述べています。
- 4 満洲国の運営には,移民の力が重要である。移民の重要性に触れているのは資料5だけです。
この問題は問題の図(写真・図・表など)を見て答えます。図はこちらに転載していないため、下の出典のページから公式のPDFをご覧ください。解説だけでも読み取り方が分かるように書いています。
解説
正解は1です。資料5は、軍隊の力によって満洲国は誕生したと述べています。資料6のリットン調査団の報告書も、日本軍の存在と官僚がなければ新しい国家の形成はありえなかったと述べています。立場は正反対ですが、どちらも日本の軍隊が満洲国の誕生に関わっていると認めている点で共通します。国家として認めない立場は資料6だけのものです。
出典:文部科学省ホームページ(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00019.htm)を加工して作成