ソクマル高卒認定(歴史)

問8 下線部分第二次世界大戦後に関する次の資料6 から読み取れることと,資料6 …

次のⅠ・Ⅱについて,後にある問1 ~問8 に答えよ。 Ⅰ 次の文章について,後にある問に答えよ。 第一次世界大戦で植民地からも数多くの兵が徴兵されたことなどを背景として,大戦後に各 地で民族運動が高揚した。ヨーロッパ各国は資金調達のため戦時公債を発行し,大戦を経て各 国の経済状況は大きく変化した。アジアでは日本が輸出を拡大し,戦勝国となったアメリカ合 衆国は繁栄の時代を迎えた。また,国際秩序も大きく変化し,国際協調体制の構築が図られた。 Ⅱ 次の会話文について,後にある問に答えよ。 会話文 アカネ: ブラジルには日系人がたくさんいるらしいですね。昔から多かったのでしょうか。 ハルト: 調べてみたところ,次のようなグラフを見つけました。このグラフから日本人 がブラジルに渡っていった歴史があることがわかりますね。さらに当時の人の 考えが読み取れる資料4 も見つけました。経済界の人物が書いた文章です。 アカネ: 面白い資料ですね。当時の状況がよくわかります。ところで,グラフのXの時 期は特に移民の数が多く,またグラフのYの時期は移民の数が極端に減少して いますね。 ハルト: そうですね。なぜでしょう。その背景について次の時間に考えてみたいと思い ます。 アカネ: 私もブラジル移民について調べてみたところ,移民に関する建築物を見つけま した。写真は兵庫県にある「神戸市立海外移住と文化の交流センター」で,この 中に「移住ミュージアム」があります。この建築物は,1928 年に「国立移民収容 所」として設置され,南米への移住者が日本で最後の日を過ごす場所だったそ うです。 ハルト: 「国立移民収容所」ができたということは,移民が国策であったということですね。 アカネ: そのようです。この建築物は日本軍の施設として利用された時期もありました が,第二次世界大戦後に移民の送り出しのための施設として再び使用され,ブ ラジルの日系団体などからの保存・再整備の要請もあり,2009 年に「移住 ミュージアム」となったそうです。 ハルト: 興味深いですね。移民についてもっと調べたくなりました。 グラフ ブラジルへの日本人移民数の推移(1908~41 年) 写 真 25000 40(年) X Y 10000 15000 20000 (人) ⒠ ⒡ ⒢ ⒣
問8 下線部分第二次世界大戦後に関する次の資料6 から読み取れることと,資料6 が発表され た頃の出来事の組合せとして適切なものを,下の1 ~4 のうちから一つ選べ。
資料6  アメリカ合衆国大統領トルーマンの特別教書(意訳してある) ほとんどすべての国は,二つの生活様式の中から一つを選ばなければならない。…第1 の生活様式は,多数者の意思に基づき,自由な諸制度,代議政体,自由な選挙…政治的 抑圧からの自由によって特徴づけられている。第2 の生活様式は,多数者を力で強制す る少数者の意思に基づいている。それはテロと抑圧,統制された出版や放送,形ばかり の選挙…などによって成り立っている。私は,武装した少数者や外部からの圧力によっ て企てられた支配に抵抗している自由な諸国民を援助することこそ,アメリカ合衆国 の政策でなければならないと信ずる。 読み取れること ア トルーマンは,「第1 の生活様式」を批判している。 イ トルーマンは,「第2 の生活様式」を批判している。 出来事 ウ 「鉄のカーテン」演説が行われた。 エ 第1 次石油危機がおこった。
この問題は問題の図(写真・図・表など)を見て答えます。図はこちらに転載していないため、下の出典のページから公式のPDFをご覧ください。解説だけでも読み取り方が分かるように書いています。

解説

正解は3です。トルーマンは、テロと抑圧、統制された出版や放送によって成り立つ「第2の生活様式」を批判し、それに抵抗する国々を援助すべきだと述べているので、読み取れるのはイです。この特別教書は1947年のもので、冷戦の始まりを告げる宣言でした。同じころ、チャーチルによる「鉄のカーテン」演説が行われています。第1次石油危機は1973年で時期が合いません。
出典:文部科学省ホームページ(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00018.htm)を加工して作成

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