問4 下線部分ノーベル賞に関連して,日本で首相を務めた佐藤栄作はノーベル平和賞を…
次のⅠ・Ⅱについて,後にある問1 ~問8 に答えよ。 Ⅰ ソヴィエト連邦(ソ連)出身の作家スヴェトラーナ= アレクシエーヴィチは,ソ連の歴史の表 舞台には登場しない一般市民の声をすくい上げ作品としてまとめてきた。 1983 年のデビュー作である『戦争は女の顔をしていない』は,第二次世界大戦でドイツ軍と の戦いを経験したソ連軍の女性たちの証言集である。この作品は初め国家により出版が禁止さ れた。1985 年に A がペレストロイカを始めると出版することができたが,出版にあたっ て削除された証言もあった。 1986 年にチェルノブイリで人々が体験した出来事について記載した『チェルノブイリの祈 り』も,話題となった作品である。また,1991 年のソ連崩壊が引きおこした社会の変化につい ての証言集では, B の下で初めて体験する生活に翻 ほん 弄 ろう されるソ連の人々が描かれている。 これらの作品には文学としての価値が認められ,アレクシエーヴィチは2015 年にノーベル 賞を受賞した。
問4 下線部分ノーベル賞に関連して,日本で首相を務めた佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞し た。佐藤栄作が首相を務めていた時期の日本の政治のうごきについて述べた文として適切な ものを,次の1 ~4 のうちから一つ選べ。
- 1 核兵器を「持たず,作らず,持ち込ませず」という原則を,内閣が表明した。佐藤栄作首相は非核三原則を表明し、この方針が評価されてノーベル平和賞を受賞しました。
- 2 京都で行われた国際会議に参加し,温室効果ガスの削減目標を決定した。京都議定書が採択された国際会議(COP3)は1997年で、当時の首相は橋本龍太郎であり、佐藤栄作が首相を務めた時期とは異なります。
- 3 サンフランシスコ平和条約に調印し,連合国から日本の主権が承認された。サンフランシスコ平和条約への調印は1951年で、当時の首相は吉田茂であり、佐藤栄作が首相を務めた時期とは異なります。
- 4 紛争を解決する手段としての戦争を禁止する不戦条約に参加した。不戦条約への参加は1928年で、当時の首相は田中義一であり、佐藤栄作が首相を務めた時期とは異なります。
解説
正解は1です。佐藤栄作首相は1967年の国会答弁などを通じて、核兵器を「持たず,作らず,持ち込ませず」とする非核三原則を表明し、この方針が評価されて1974年にノーベル平和賞を受賞しました。京都議定書の採択は1997年(橋本内閣期)、サンフランシスコ平和条約調印は1951年(吉田内閣期)、不戦条約参加は1928年(田中内閣期)で、いずれも佐藤栄作が首相を務めた時期(1964~1972年)とは異なります。
出典:文部科学省ホームページ(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm)を加工して作成