19世紀の後半から20世紀の初めにかけて、列強はアフリカの大部分を分け合って支配…
19世紀の後半から20世紀の初めにかけて、列強はアフリカの大部分を分け合って支配のもとに置きました。このときの境界の引かれ方が現地にもたらしたこととして最も適切なものはどれか。
- ⑴ 現地の王国や部族の境をそのまま用いる取り決めが結ばれ、支配の区切りは以前からの地域のまとまりに沿って定められました。境界は緯線や経線、川などを用いて列強の都合で引かれ、現地のまとまりに沿って定められてはいません。
- ⑵ 沿岸の地域が分割の対象とされ、内陸には列強の支配が及ばない広い地域がそのまま残されることになりました。19世紀末には内陸へも支配が広がり、20世紀の初めにはアフリカの大部分が列強の支配下に入りました。
- ⑶ 列強どうしの取り決めによって境界が引かれたため、同じ民族が別々の領域に分けられ、異なる民族が一つの領域にまとめられました。境界は列強の勢力の割り振りとして引かれたため、現地の民族のまとまりとは合わない区切りが生まれました。
- ⑷ 分割の範囲は現地に住む人々の代表が加わる会議で決められ、住民の希望に沿って支配の区切りが定められました。分割を話し合った会議は列強の代表によるもので、現地の人々がその場に加わることはありませんでした。
解説
正解は⑶です。列強は、工業製品を売る市場と原料の供給地を確保するために競い合ってアフリカへ進出し、勢力の範囲を互いの取り決めによって定めていきました。そのため境界は、緯線や経線、川筋などを目安に、列強の都合で引かれました。その結果、同じ言葉や文化をもつ人々が別々の領域に分かれたり、対立を抱える民族が一つの領域にまとめられたりします。この区切りは独立後の国境にも引き継がれ、現在まで続く課題の一つとなっています。
AIが生成したオリジナル問題です。実際の試験問題ではありません。