19世紀の半ば以降、中国は欧米諸国から開港を、日本は開国を求められました。その後…
19世紀の半ば以降、中国は欧米諸国から開港を、日本は開国を求められました。その後の両国の歩みを比べた説明として最も適切なものはどれか。
- ⑴ 清の側が国内の制度を改めて機械による生産を先に広げ、日本は開港場を増やすことによって欧米の製品を受け入れました。機械による生産を先に広げたのは日本で、開港場の増加を求められたのは中国です。両者が入れ替わっています。
- ⑵ 両国とも欧米諸国の求めをしりぞけて港を閉じたままとし、その後はアジアの地域の中で品物をやりとりする道を選ぶことになりました。中国も日本も開港・開国に至っており、欧米との貿易が広がる中で経済と社会のしくみが変わっていきました。
- ⑶ 両国はいずれも欧米諸国と対等の条件で関税を定める取り決めを結び、輸入される品に高い関税をかけて自国の工業を育てる道を進みました。結ばれた条約では関税を自ら定める権利が認められず、高い関税で自国の産業を守ることはできませんでした。
- ⑷ 中国では開港場が増えて貿易の制限が大きく緩められ、日本では外交の方針の転換が国内政治の変化と結び付いて産業革命へ進みました。中国は開港場の増加と貿易制限の緩和を求められ、日本は開国が国内政治の変化と連動し、やがて産業革命に至りました。
解説
正解は⑷です。欧米諸国は、工業化した国として原材料と製品の市場を世界に求め、軍事力を背景に勢力を広げる競争を進めていました。その中で中国に対しては、開港場を増やすことと貿易の制限を大きく緩めることが求められました。日本に対しては開国が求められ、これは外交の方針の転換であると同時に、国内政治の大きな変化と結び付いて進みました。そして、その後の対応を重ねる中で、日本でも産業革命が起こることになります。
AIが生成したオリジナル問題です。実際の試験問題ではありません。