明治政府は1871年から1873年にかけて、岩倉具視を大使とする使節団を欧米へ送…
明治政府は1871年から1873年にかけて、岩倉具視を大使とする使節団を欧米へ送りました。この使節団の派遣が、その後の政府の方針に与えた影響として最も適切なものはどれか。
- ⑴ 条約改正の下交渉は進まず、欧米の制度や産業を見た一行は、国内の制度を整えて国力を高めることを先にすべきだと考えるようになりました。条約改正には応じてもらえず、欧米との差を実際に見たことから、帰国後の政府は内政の整備と産業の育成を優先しました。
- ⑵ 使節団に加わった人々は帰国後に政府を離れて自由民権運動の中心となり、憲法をつくる動きは政府の外から進められることになりました。一行の多くは帰国後も政府の中心にとどまり、制度改革を進めました。憲法の制定も政府が主導して行われました。
- ⑶ 使節団は欧米の軍備の強さを見て、国内の制度を整えるよりも先に近隣の国へ兵を出すべきだと主張し、それが政府の方針となりました。帰国した一行は内政の整備を優先すべきだと主張し、近隣へ兵を出す考えに反対しました。主張の向きが反対です。
- ⑷ 欧米諸国が条約の改正に応じたため、政府は輸入品にかける税を自ら決められるようになり、国内の産業を守る政策をただちに始めました。この使節団では条約改正の見通しは得られませんでした。関税を自ら決める権限の回復はこれよりずっと後のことです。
解説
正解は⑴です。岩倉使節団は、不平等条約の改正の下交渉と欧米の視察を目的に送られましたが、条約の改正には応じてもらえませんでした。一行は欧米の政治のしくみや工業の力を実際に見て、日本が対等に扱われるためには制度を整えて国力を高めることが先だと考えるようになりました。帰国後の政府は、この考えに沿って国内の制度改革と産業を育てる政策に力を注いでいきました。
AIが生成したオリジナル問題です。実際の試験問題ではありません。