我が国の文化などに関する記述として最も妥当なのはどれか。
我が国の文化などに関する記述として最も妥当なのはどれか。
- ⑴ 令和5(2023)年1月、奈良県の大仙陵古墳から、国内では例のない丸型の銅鏡や、蛇のように曲がった国内最小の蛇行剣が出土した。鏡、剣ともに古墳研究史上の画期的な発見とされている。古墳時代には、ヤマト政権の女王卑弥呼を頂点として、各地の豪族がその統治を支える体制が確立された。豪族は姓と呼ばれる政治的な集団を組織し、姓には政権内での地位を表す氏が付与された。大仙陵古墳は大阪府にあり、話題になった出土は奈良県の富雄丸山古墳のものです。
- ⑵ 令和5(2023)年9月、江戸時代後期に農業用水を送るために建設された、熊本県の「通潤橋」が国宝に指定された。国宝に指定されている他の江戸時代の建造物には、徳川家康の霊廟である栃木県の日光東照宮の陽明門や、岡山藩主によって創建された教育機関である岡山県の閑谷学校の講堂などが挙げられる。国宝への指定と、ほかの江戸時代の国宝の例が正しく書かれています。
- ⑶ 令和6(2024)年3月、歴代琉球国王の肖像画である「御後絵」が米国内で発見され、沖縄県に返還された。御後絵は、明治維新の混乱期に全て失われ、その後国内での現存が確認されていなかったため、琉球文化研究史上の重要な発見となった。琉球王国は、18世紀に毛利氏によって征服され、その後江戸幕府から国王の代替わりごとに慶賀使を江戸へ送ることを求められた。琉球王国を征服したのは17世紀の島津氏で、毛利氏ではありません。
- ⑷ 令和7(2025)年1月の大相撲初場所では、大関の力士が優勝し、同場所の終了後に横綱に昇進した。同場所までの3年間、横綱は番付上不在であり、新しく横綱が誕生するのは10年ぶりであった。江戸時代、相撲は人々の間で人気を博し、相撲絵と呼ばれる、相撲の様子を描いた浮世絵版画が制作された。出雲阿国や近松門左衛門は、大首絵の手法を駆使しながら、個性豊かな相撲絵を描いた。出雲阿国や近松門左衛門は相撲絵を描いた絵師ではありません。
- ⑸ 令和7(2025)年1月、一穂ミチ氏が芥川賞を、九段理江氏が直木賞を受賞した。いずれの賞も純文学作品を選考対象としており、芥川賞は短編作品の中から、直木賞は長編作品の中から、一年に一度受賞作品が選ばれる。賞の名前となっている芥川龍之介は、幕末から明治時代にかけて活躍した作家であり、代表作に『こころ』などがある。芥川賞と直木賞の受賞者が入れ替わっており、芥川龍之介は大正時代の作家です。
解説
正解は⑵です。令和5年9月、江戸時代後期に農業用水を送るために造られた熊本県の通潤橋が国宝に指定されました。江戸時代の建造物で国宝に指定されているものには、日光東照宮の陽明門や、岡山県の閑谷学校の講堂などがあります。ほかの選択肢は、古墳の所在地や王国を征服した勢力、受賞者と賞の組合せなどが事実と入れ替わっています。年号とできごとを結び付けて覚えることが大切です。
出典:人事院ホームページ(https://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/mondairei/mondairei_15.html)を加工して作成